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愛する意味 (光文社新書)

, 上田 紀行

によって 上田 紀行
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内容紹介 あなたはなぜ、愛の不毛地帯にいるのか。 愛が欲しければ、愛するしかない。 感動のロングセラー『生きる意味』出版から14年。 生きる意味の核心である「愛」についての熱い提言! 日本人が幸せになれないいちばん大きな原因は「愛していない」ことにあります。 多くの人たちが「愛すること」よりも「愛されること」を優先してしまっている。 恋愛でも、社会に対しても、常に周囲からの評価が気になってしまう。 しかし、「愛されたい」「評価されたい」ということへの執着は、 あなたをとても不自由にします。 愛されるだけ、他から評価されることを待っているあなたは、この世界では仮住まいです。 愛すること、そのことによってあなたは自分自身の人生の主人公となります。 愛することはあなたの世界を創り出し、あなたは世界に意味を与える存在となるのです。 そのとき世界は一気に輝き出します。 愛の至福は私たちの人生を、存在そのものを変えていきます。 「ぼくも愛することに踏み出せない若者だった。そして孤独でいつも寂しさにさいなまれている若者だった。けれどそこから一歩を踏み出すことで、世界が変わっていった。自分が変わっていった。そして自分の人生が幸せの方向に歩み出していった。もちろんそれゆえの苦しいことや挫折もあったけれども、愛することへと一歩踏み出すことで、ぼくの人生は初めてぼくのものになった。そしてそれは大きな喜びをもたらしてくれた。だからぼくは君にも一歩を踏み出してほしいと思う」(「あとがきにかえて」より) 【著者プロフィール】 上田紀行(うえだ のりゆき) 文化人類学者、医学博士。東京工業大学教授。リベラルアーツ研究教育院長。 1958年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。岡山大学で博士(医学)取得。 86年よりスリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークを行い、 その後「癒やし」の観点を最も早くから提示し、 生きる意味を見失った現代社会への提言を続けている。 日本仏教再生に向けての運動にも取り組み、 2005年にはスタンフォード大学仏教学研究所フェローとして講義を行う。 東工大学内においては、学生による授業評価が全学1200人の教員中第1位となり、 2004年に「東工大教育賞・最優秀賞」(ベスト・ティーチャー・アワード)を学長より授与された。 代表作『生きる意味』(岩波新書)は、2006年全国大学入試において 40大学以上で取り上げられ、出題率第1位の著作となった。 【目次(一部抜粋)】 第一章 私はなぜ、愛の不毛地帯にいるのか 愛をつかまえようとすれば欲求不満になる 欠乏感のある私が世界とのつながりを実感するために 恋愛のオリジナリティをどう磨くか 第二章 恋愛結婚はなぜ失敗するのか 離婚して初めて、仮面も奥底を見る 世界から分断された痛みが、私に「人生の癖」を残す いない人の愛に縛られることもある 第三章 トランスフォーメーション・ワーク 自分を書き換えるレッスン 過去に戻るのではなく、今の自分を書き換えよう 無条件の愛と条件つきの愛。自分の愛し方を見直してみる あなたと相手の立場は連動している 第四章 再び、承認されたいという思いが湧き上がるとき もっと愛に狂気があっていい 女性は基本的に強者である 5年後をにらんで、今を変える勇気 第五章 もっと恋せよ、日本人! 愛する意味を探求しよう モノの時代が終わっていく時代 レトリカルな贈り物が相手の心に響く ご縁に生かされている、出会いの奇跡 第六章 愛は偽りの秩序を更新する 誰のせいにもしないという愛 自分を愛することと、自己愛の違い これからは「愛する意味」が問われる時代 あとがきにかえて 愛することに一歩踏み出せない君への手紙 内容(「BOOK」データベースより) 愛が欲しければ、愛するしかない。感動のロングセラー『生きる意味』出版から14年。生きる意味の核心である「愛」についての熱い提言! 商品の説明をすべて表示する
以下は、愛する意味 (光文社新書)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
著者によれば、現代日本は「愛の不毛地帯」だという。つまり、愛が減っている。私も女子大の教員を長く務めたので、学生が、たとえばバブルの頃に比べて恋愛しなくなっていると感じていた。著者によれば、「そもそも日本というのは、愛や自由を基軸に組立てられている文化ではなく」(p74)、しかも現代日本は、社会のシステムが高度に発達して、個人がそのシステムにうまく適合することが「生きる」ことの主要な部分になっているので、「他者や自己の根源に出会う場である愛や恋愛」のコストパフォーマンスが悪くなってしまった(208f.)。条件付きでしか人を愛せないというのは、人間の「存在よりも役割が重視されすぎる」(177)からであり、これが愛が減った理由である。バリ島、スリランカの農村などとの比較が念頭に置かれており、文化人類学者である著者の見立ては大筋として正しいだろう。ただ、私の印象では、著者は愛の受動性の側面の考察が足りないと思う。「愛することを始めよう」「そして大きな愛を持とう」(3)、「愛することに一歩踏み出そう」(188)と著者は言う。だが、「誰々を愛する」という能動形の他動詞の前に、「あの人はいいな、素敵だな、可愛いな、魅力的だな! そこに萌えるな!」という感情が自分に生じなければ、愛は始まらないのではないだろうか。この感情は、自分で意志して生じるものではなく、相手から贈られる完全に受動的な経験である。これは「相手から愛されている」ということではない。相手を「好きだ!」と感じる感情が自分の中に生じるとしても、そのことを相手はまったく知らない。ドイツの哲学者ヨゼフ・ピーパーは、「愛とは、われわれのもとにやってきて、いわば魔法のようにふりかかるものである」(『愛について』p26)と述べている。つまり愛の感情passionは受動的passiveに生じるのであり、意志できるものではない。現代の若者だけではなく、私の周辺には、さまざまな年代の恋愛も結婚もしない人たちがいる。そうした友人、知人をみて私が思うのは、「この人たちは、そもそも人を好きになるという感情そのものが乏しいのだな」ということだ。だとすれば、人は自分の意志で「愛することに一歩踏み出す」ことなどできないのではないだろうか?

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